戦う夫の毒親撃退日記

毒親を抱えた嫁ちゃんのために奮闘する夫の日記

毒親ってなに?

皆さんは毒親って言葉を知っているでしょうか。ウィキペディアで調べてみると以下のような記載がありました。


毒親(どくおや、英: toxic parents)とは、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。学術用語ではない。母の場合は毒母、毒ママ[1]、父の場合は毒父[2]等と称されている。当初は「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いられた。「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親(英語版)について語られることが多い[3]。主に母親が対象として取り上げられる[3]。毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。

 


毒親とは自己愛が病的に強く、子供に悪影響を与える親の事です。

私自身の親は毒親ではありません。

このブログには私の妻(以降嫁ちゃん)が毒親に苦しめられていて、1人ではどうしようもなかった日常生活を、血の繋がっていない夫である私が盾となり矛となったことで、苦労していた毒親を撃退できた日々の記録を記しています。

 

毒親を撃退した当初は毒親でも嫁ちゃんの親なので、どれだけひどい事を嫁ちゃんにしていても、正しさだけでは救えない思いもあるんじゃないかとか、良心の呵責も相当ありました。

常に自分は正しい事をしているのか、残酷じゃないのか、毎日毎日自問自答しています。

ただ、そんな中で嫁ちゃんに言われた言葉があります。

 

無理矢理田舎から連れ出してくれてよかった。夫に連れ出してもらえなかったら多分一生田舎で毒親に搾取されるだけだった。ありがとう。

 

この言葉がきっかけで、この日記を書き始めました。

 

 

毒親を撃退する前、嫁ちゃんは血の繋がりがあるからなかなか強く言えない、なかなかきれない。とよく話していました。

私が血の繋がりがないからこそ、遠くへ連れ出し、日々の攻撃の盾になり、追い払うことができたと思っています。

親の事なのですが、必ず血の繋がった人間がやらなければならないことでも無いのです。

自分が誰かを助けたいと思い、相手が誰かから助けられたいのなら力になれます。

 


このブログは嫁ちゃんの毒親と実際戦った記録と、私の祖父と父の家業が行政的な仕事なので子供の時から、子供に捨てられた老人や、親に捨てられた子供、母子家庭に父子家庭など多くの行政的手続きを見てきた経験も踏まえてのお話になります。

※私が行政的な仕事をしているわけではありません。

 

 

毒親に困っている人たちに希望や逃げ道を見せてあげれたらと思いこのブログを書かせていただきます。

ある程度は自身の行動を持って解決できる事が多いので、大変ですが一歩を踏み出し、幸せな人生を過ごしてほしいと願っています。